ゆめ、うつつ。そんな私たち。 3



 それから、五十鈴と桂子は夜、ばったりと会うことが多くなった。今までにも、もしかしたらすれ違う機会があったかもしれないのに、気付かなかったのだから、あの夜が特別だったのかもしれない、と五十鈴は思う。

 時に夜に呼ばれるように、時に月に呼ばれるように。
 その独特の空気を感じるために、五十鈴は毎日のように散歩に出かけた。そうして、それは毎日に変わり、桂子に会いに行くようになった。

 あの日だけが自転車だったと桂子が言ったから、五十鈴はやはり特別な日だったのだ、と思っている。

 気付けばもう、五十鈴が桂子を見かけてから一月が立っていた。

「桂子は、どうして学校では誰ともしゃべらないの?」

 唐突に、五十鈴はそんなことを口にした。
 まるい月が空に浮かんでいる。それを見上げながら、二人で歩いている。
 桂子はしばらく間を開けて、答えた。

「別に、学校でだけじゃなくて。ただ、誰かと話すのがそんなに好きじゃないの」
「そうなんだ」

 冷たい風が吹いて、二人の髪を揺らしていく。制服姿の桂子は寒そうに体を縮こまらせた。五十鈴はそれを見て、問いかける。

「寒いでしょ。そろそろ制服止めた方が良いんじゃない?」
「そうね。そのうち考える」
「うん、もっと暖かい格好しないと風邪引くよ」

 五十鈴がそう言うと、桂子は笑った。
 桂子は五十鈴の前では、よく表情を変えるようになった。何が原因なのかわからないけれど、最初から友好的なように思えて、五十鈴は不思議に思う。

「どうして、私とは話すの?」

 また唐突に、五十鈴はそう口にした。

「あなたなら、良いかと、なんとなく思っただけ」
「そっか」

 桂子の答えに、五十鈴はちょっと笑った。
 なんとなく。
 それが、二人に共通しているものなのだとわかって、面白かった。そして、なんとなく嬉しかった。

 それから二人の間の会話は途絶えて、ゆっくりと歩き続ける。
 電灯のない小さな十字路で、二人の足は止まる。この場所が、調度二人の分かれ道だ。

「また明日」

 五十鈴が言うと、桂子は微笑んだ。
 そうして、彼女は五十鈴の肩に手を置く。桂子の顔が近づいてきて、五十鈴は思わず目を瞑った。

「また明日」

 桂子の声が、夜の空気のなか、小さく響いた。


     *  *  *


「どうしたの? 元気ないよ?」

 美穂に声を掛けられ、五十鈴ははっとした。今は昼休み。宿題を忘れてしまった美穂が、隣の席を借りて、五十鈴のノートを書き写している。

「ううん、大丈夫だよ。なんでもない……」
「ならいいけどさ」

 美穂は器用にも、ノートに目を向けながら、話し掛けていた。そんな彼女を見ながら、五十鈴はぼんやりと頭を働かせる。
 美穂は友達であり、そういう対象に見たこともない。触れたいなどもちろんない。彼女にとって、五十鈴は友達で、五十鈴にとってもそうである。それは、美穂も五十鈴も女同士であるからだ。

 でもどうしてだろう。
 あの人だけは違うのだという確信が、五十鈴の中にはできあがっていた。
 桂子だけは、性別などに関係なく、五十鈴にとってその対象になりうるのだ。

 実際、これは恋なのだと、五十鈴は思っていた。
 だから、昨日、五十鈴は桂子のキスを拒まなかった。悪戯でもなく、そういう意志があってのものだとわかった上で。

 ふと窓の外を見ると、中庭に座り込む桂子の姿が五十鈴の目にとまった。

 また明日。

 桂子の言葉が聞こえたような気がして、五十鈴は目を瞑った。今日も五十鈴は、桂子に会いに行く。

「もう。五十鈴ったらまた何見てるの?」

 ノートを書き上げた美穂が、こちらを向く。

「あ、終わった?」

 五十鈴が聞くと、美穂は、うん、と頷き、立ち上がった。窓の外を彼女も見つめて。

「あ、鈴村さんじゃない」
「うん。なんとなく目に入って……」
「ま、良いけど。ほんっと不思議な人だよねー」

 そう言った美穂の言葉には、少しの嫌悪感が見え隠れしていて、五十鈴は胸が痛くなった。
 多分、五十鈴が桂子と仲良くしていることを、美穂が知れば離れていくだろう。そんな気がするのだ。

 学校生活は、現実なのに、夢みたいに壊れやすい。そうやってすぐに、現実ではなくなってしまう。小さな傷を直しながら過ごすけれど、それはやっぱり驚くほど現実味がないのだ。

 美穂との会話。
 先生とのやりとり。

 全部が夢のようだ、と五十鈴は思う。自分はいるのに、いないような感覚。
 それはきっと、桂子と出会ってから、より強く感じるようになった。桂子と一緒に散歩しているときの方が、学校にいるときよりずっと、五十鈴はいろんなものを感じている気がする。

 きっと。きっと。
 五十鈴は桂子のことが、好きだった。
 五十鈴はその日、桂子に会いに行って、話をした。

「五十鈴が好きなの。もともと、異性に惹かれないの、私。気持ち悪いと思った?」

 悲しそうにそう言う桂子に、五十鈴は首を振った。

「私も桂子が好きだよ。性別とか、関係なく」

 そう言ったときの、桂子の笑みは、五十鈴にはひどくまぶしく見えた。
 ああ、やはり彼女は現実だ。



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初々しさを目指してみたり。





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