ゆめ、うつつ。そんな私たち。 2



 朝。五十鈴は遅刻しない程度の時間に起きて、学校に向かう。歩いて駅まで向かい、そこから電車に乗る。電車から学校までは、ほんの数分だ。

 五十鈴の着ている服は、セーラー服。胸元でひらひらと揺れるスカーフに、少し短いスカート。多分昨日の彼女と、自分は同じ学校なのだろう、と五十鈴は思った。

 朝の太陽の光が学校を照らす。今日は良い天気だ。
 学校でも窓際に座る五十鈴には、さんさんと太陽の光が降り注いでくる。あと少しで昼食になる、そんな授業中。五十鈴はぼんやりとしながら、黒板に書かれた文字をノートに写していた。

 ふと、視線が黒板からそれて、窓の外に向けられる。
 やはりまぶしく感じ、五十鈴は目を細めた。けれど、そこで五十鈴の目は、それを見つけ、見開かれた。

(昨日の人だ)

 どくり、と五十鈴の心臓が鳴る。窓の外に見えるのは裏庭。そこに黒い髪の少女が一人、座り込んでいる。五十鈴からは、彼女の周りだけが、違う空間に見えた。

 やはり、この学校の生徒だったのだ。どうしてか五十鈴の胸が騒いだ。
 先生が大きな声を出している。しばらくすると、五十鈴のすぐ傍で、自分の名字を呼ぶ声が聞こえた。

「水原!」

 はっとして、五十鈴はその方向に首を動かした。机の右隣には、怪訝な顔をした先生が立っている。

「すみません」

 そう言いながら視線を動かすと、クラス中の視線が自分に向いているみたいに感じられた。にやにやと笑っている人もいる。どうやら、自分は当てられていることに気付かなかったようだ。まずいなぁ、と五十鈴は思う。

「先生、あの……」
「問四の三問目。……と四と五もだ」

 五十鈴が先生を見ると、彼はそれだけ言って、元の位置に戻っていく。
 五十鈴は、自分のノートと教科書を確認する。
 問四の三問目。四問目。五問目。
 彼女の目が、それを追っていく。

 予習の済んでいる部分で、助かった。五十鈴は心の中で呟き、立ち上がった。黒板に答えを書き終え、席に戻ると、調度授業終了のチャイムが鳴る。

「合ってるみたいだし、違ってた人はみんなこれ写しておけよ。じゃあ、先生ももう行くから」

 先生は一応、といった風に黒板を確認してそう言うと、足早に教室から出て行った。途端に騒がしくなる教室内。
 窓の外を見れば、もうあの彼女の姿は消えていて、五十鈴はなんとなくがっかりした。
 鞄の中に適当に教科書とノートを片づけると、五十鈴は机の上に突っ伏した。彼女の肩ほどまである黒い髪が剃れに合わせてはねる。

 なんだか面倒くさい。
 そんな言葉が五十鈴の頭に浮かび、ため息が漏れた。

「目、付けられても知らないからね」

 唐突に右から聞こえた声に、五十鈴は顔を横にする。隣に立つのは、友人である美穂だ。

「うーん、それは困るなぁ」

 間延びした声が五十鈴から発せられ、美穂は苦笑した。

「それにしても、あんた何見てたの?」
「ああ……何かっていっても、人なんだけど……」
「人? 授業中なのに?」

 美穂が首を傾げる。すると、五十鈴はそう、と頷き、体を起こした。

「なんか、独特の雰囲気がある人。黒くて、長い髪の……」
「ああ、それきっと鈴村さんだよ。二組の」
「へ」

 五十鈴はきょとん、とする。答えが降って湧いた。そんな感覚だった。
 その様子を見て、美穂は説明する。

「さっき五十鈴も言ってたけど、彼女、何だか雰囲気あるじゃない? きれいだし、堂々としすぎてるっていうか」
「うん」

「で、それだけなら別に私だって知らなかったと思うけど、彼女、授業さぼることも多いし、誰が話し掛けても応えないらしいし……なんていうか、浮いてるんだよね。実際私も、二組に行ったとき、彼女見かけたんだけど、不思議な感じだったし」
「ふーん……」
「ま、いじめられてはないみたいだし、良いんじゃない? 別に特に知り合いでもないしさ」

 そう言って、美穂は適当に話を切り上げた。
 二組のスズムラさん。
 美穂は、同じクラスにしか友達がいない五十鈴と違って、かなり社交的だ。部活動にも入っているし、違うクラスの情報もどこからか入ってくるのだろう。

 そうなんだ。
 五十鈴は、そう小さく呟いた。

「それより、ご飯食べよ」

 美穂のその言葉に、五十鈴はやっとお弁当を鞄から取り出した。


     *  *  *


 その日の散歩では、五十鈴はあの彼女を見かけることはなかった。
 けれど、次の日学校に行けば、五十鈴の目は、ついつい彼女の姿を探してしまうのだった。

 彼女は、なんとなく、気になる存在。
 二組の前を通るとき。
 裏庭を通るとき。
 授業中の窓の外。

 彼女はいないのだろうか。そう思いながら、五十鈴はあの黒い髪を探す。それは、五十鈴にとって小さな刺激となって、日常に埋もれた自分を、掘り起こすような。

 女子高校生としては、それなりに型にはまった五十鈴という人間。クラスには仲の良い友達がいて、それなりに話を合わせて、楽しむ。そんな自分が、五十鈴は嫌いではなかったはずだけれど、それでも多分どこか嫌いだったのだ、きっと。

 彼女は見つからない。けれど五十鈴にはその行動自体に価値があるように思えた。もちろん、彼女を見つけられた方が、嬉しく思うのだろうけれど。
 そんなことを思いながらも、結局その日、五十鈴は彼女を見つけることはできなかった。

 けれど、さらに次の日、五十鈴はついに彼女を発見した。すべての授業を終えた五十鈴は、部活動へと向かう美穂と別れ、帰宅するところだった。

「あ」

 五十鈴が呟く。

 雨。
 授業中は晴れていたのに、玄関まで来てみると、雨が降っていた。空も暗い。
 そして五十鈴の目が見つけたのは、彼女。

(スズムラさん)

 彼女は、ただぼんやりと空を見上げている。その目がどこか悲しそうに見えて、五十鈴は次の瞬間には声を掛けていた。

「入る?」

 その声に反応し、五十鈴の方を向く彼女に、持っていた傘をぷらりと振って見せる。

「たぶんだけど、うちの近くじゃない? スズムラさんのうちって」

 どくどくと、五十鈴の胸が打つ。
 戸惑っている風な彼女に、五十鈴は緊張してしまう。ああ、知らない人に声を掛けられたら誰でもそうなるよね。それどころかうちの場所基準でわかるはずがないよね。五十鈴は胸の内で納得し、だからこそ自分の行動が信じられない思いだった。

 五十鈴の口から出てくるのは、言い訳のような言葉たち。

「あの、この前うちの近くで自転車に乗ってたスズムラさんを見て、だから近いのかなって」
「あ」

 彼女が思い出したように呟いて、五十鈴はどきりとする。

「あのときの子ね。あなたの家、あそこから近いのね」

 続けて彼女が言い、五十鈴は傘を握りしめた。噂では、応えてくれないということだったから、驚いてしまったのだ。さらには、覚えているということも、意外なことだった。

「う、うん」

 五十鈴がなんとかそう答えたとき、彼女は傘を見つめていた。

「入る……?」

 五十鈴がもう一度言うと、彼女は頷いた。

「入れてもらって良いのなら」
「うん、大丈夫だよ。家はあの辺で良いんだよね」

 彼女はまた頷いたから、五十鈴は傘を開く。
 右手で傘を持つ五十鈴の隣に、彼女がするりと、入りこんでくる。

 ぱらぱらと、傘を叩く雨の音。
 ぴちゃぴちゃと、足下で鳴る水の音。

 寒気を感じて、五十鈴は身を震わせた。そこで、彼女が唐突に口を開く。

「あなたは?」
「え?」

 心臓が飛び跳ねた感覚と共に、五十鈴は彼女を見た。すると彼女は少し表情を変え、五十鈴を見つめて言う。

「私の名前は知ってるんでしょう? あなたは?」

 五十鈴は一瞬、その目に見つめられて戸惑い、そうしてから答えた。

「私は、水原五十鈴」
「そう、五十鈴ね」

 そう彼女が言い、五十鈴はどきりとする。まさか名前を呼ばれるとは思わなかったのだ。

「……スズムラさんは? 名前、教えてくれる?」

 思わず、五十鈴の口からそんな言葉が飛び出る。

「私は、鈴村桂子」

 彼女はそう言い、小さく笑ったように、五十鈴には思えた。

「桂子っていうんだ」
「そう。そう呼べば良いよ」

 彼女が、桂子がそう言い、五十鈴はそれを聞いて微笑んだ。
 あの夜のせいだろうか。五十鈴は桂子のことが気になっていて、だから多分嬉しかったのだ。

「ありがと」



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まぁ、こんなところでしょうか?
気になる二人を書いてみました。
まだ続きます。





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