白にとける。



 私の住む村の外れには、小さな社がある。
 それはずっと昔からあるもののようで、多分この土地の神様をまつったものなのだろう。そうして、大人はその社のことを私たちに言い含める。
 雪の日に社に近づいてはならないよ。近づけば、雪に魂を吸い取られてしまうから、と。
 そうして、命まで取られてしまうよ、と。



「うわあ、雪だー!」

 彼女のあげる子供のような声に、私は思わず苦笑した。
 目の前で、雪が降る中に飛びこんでいく彼女。
 彼女は私の親友だ。何でも相談しあってきたし、いつでも一緒だった。
 子供の頃から、毎日毎日、一緒に遊んでいて。沢山の思い出を共有してきた。
 晴れた日はもちろん、雨の日も。どんな日も、大切な思い出であふれている。
 そして、雪の日も――。
 私たちは、多分これからも一緒に育っていく。

 目の前ではしゃぐ彼女。
 彼女が雪のことを何よりも、焦がれるほどに好きなことも、雪の降っている日にはずっと窓の外を見ていたことも知っている。
 そんな彼女が不思議で、どうして、と訊いたこともある。
 だけど、返ってきた答えは、わからない、という言葉だけ。そして、その後に彼女はいつも口癖のようにつぶやくのだ。
 雪が、ずっと溶けなければいいのに……、と。
 私は溶けなきゃ困るなあ、なんて思いながらおざなりな返事をしていた気がする。
 私と彼女は、いつもいつも、一緒だったのだ。

 二人で歩く、白い道。
 たわいない話をしながら隣を見れば、彼女は楽しそうに降ってくる雪を眺めている。
 そんな冬の日が大好きだった。



 そして今年。

「最近ね、雪の降る夢を見るの」

 唐突に、でも彼女自身は嬉しそうに、そう言ったから、私はふうん、とこたえて空を見た。

 雪の降る気配は、まだなかった。
 当然だった。まだ秋だったのだから。落ち葉が降る季節だったのだから。
 でも、彼女の中には「雪」というものがずっと降っているかのように感じられた。どうしてそんなことを思ったのかわからない。

 けれど、湧き上がった小さな恐怖。
 冬が近づくにつれて、彼女のどこかが変わっていく気がして。
 それなのに、彼女はどうかしたの、と不思議そうに言うばかりだったから、どうすることもできなかった。
 実際、普段の彼女におかしなところなど全くなくて。ただ私がなにかにおびえているだけなのだと、勘違いなのだろうと。
 そう考え、むしろ、思いこもうとしていた。

 そんなある日、彼女は突然に言ったのだ。

「なんだか、今年降る雪は少し違う感じがするな」
「どうして? まだ降ってもいないじゃない」

 私が訪ねると彼女はゆっくりと首を振った。
 その姿はいつもの元気な彼女とは、全然違っていて、私は戸惑いを覚えた。だけど私の怪訝そうな視線に気がついたのか、彼女は言い訳するようにつぶやいた。

「だって、そう感じるんだもん……」

 少し悔しそうな彼女は、どこか子供っぽさを感じさせて、いつも通りの姿だったから少しほっとして。

 ふうん、とつぶやきながら見やると、彼女はもう青い空を見上げていた。
 冷たい空気。高く澄んだ空。
 冬がだんだんと近づいてくる。

「早く、雪降らないかな……」

 毎日、毎日、彼女は空を見つめていた。


 そうして、だんだんと日々が過ぎ、雪の季節がやってきて。
 本物の雪を見て、去年と同じように騒ぐ彼女。けれど、私の前を歩く彼女はやはり、今までとは変わってしまった気がした。

「ね、まだ夢、見る? 雪が降る夢……」
「うん!」

 くるりと振り返って、彼女は本当に嬉しそうに答えた。
 空からは、大きな牡丹雪がはらはらと降っている。足元には雪が積もっていて歩きづらい。

「本物の雪が降ってるから、夢でまで見なくてもいいんじゃない?」

 それに、そんなにいいものでもないと思うけど、と心の中でつぶやいて、足下を見やった。足が冷たくて重く感じる。
 だけど、彼女はまた振り返ると、にっこり、と笑うと自慢げに言った。

「そんなことないよ。雪が降るのって嬉しいじゃない。夢でまで見られるのも嬉しいよ。だって普通なら、寝ている間だけは雪は見られないでしょ」

 雪は彼女にも私にも、降り続ける。後ろをちらりと見れば、私たちの足跡も、もう薄くなっていた。
 しんしんと、降り続ける雪。彼女と私の間にも降って。私の目に、彼女の笑顔を映しにくくする。

 ああ、やっぱり、と私は思った。
 彼女は雪が好きで、好きで。
 きっと彼女のなかにはずっと雪が降っているのだ。降り止まぬ雪は、彼女の心を埋めてしまうくらいに積もっているのだ。
 そう思って、ぞくり、とした。
 彼女の様子は、あの言い伝えのように見えてしまって。彼女の魂は、雪に吸い取られてしまったのかもしれない、と思ってしまったから。そして、確かに私と彼女は、社で雪を見たことがあったのだから――。



 二年前、私と彼女は雪の降る前に、と思って社へ散歩しに行ったのだ。雪の降る気配もまだ少し遠く、社の周りを木々が紅く染めていた。
 神社は村の中では紅葉が一番美しい景色を持っていて、二人のお気に入りの場所だったのだ。
 そして、その年最後の秋を楽しみ、帰ろうとしたときにそれは降ってきた。

「あ……ゆき……?」

 彼女の呟きが私の耳に届いて、私も空を仰いだ。

「あ……」

 ちらちらと小さな白い粒が手のひらにのり、ふわり、と消えた。

「本当だ……雪だね」

 木々に色づいた赤に、舞い散る白。
 神秘的で、少し、怖かった景色。
 私達はその美しさに魅入り、ただただ立ちすくんでいた。
 そうして、ふと気がついたのは、もう日が沈む頃だった。
 目の前に残ったのは赤い模様だけ。

「いま、雪降ってたよね?」
「うん……」

 彼女の返事を聞くと、突然頭の中がはっきりしたような気がして、状況を理解できた。私と彼女は、大人たちからの忠言を破って社で雪を見てしまったのだった。
 ふいに心配になって、彼女の手をつかんだ。

「帰ろうか?」
「うん」

 彼女が小さく呟いた。
 歩き出すと、ほっとした。言い伝えなんて、なんでもなかったんだなあ、と思っていたのだ。



 そんな風に、社での雪を思い出してしばらくして、彼女は雪を見てはポツリ、とつぶやくようになった。

「ね、なんだか、雪が呼んでる気がしない?」

 その言葉に。
 私は不安を感じた。いや、それはもう恐怖だったのかもしれない。
 彼女が本当に雪に連れて行かれてしまうのではないか。
 大切な私の幼馴染を、雪が自分のものにしてしまうのではないか、と。
 手を振って今日を別れることさえも、このまま本当に会えなくなってしまいそうな気がして、どこか怖く思えた。

 雪のなかを舞うように走って行く彼女。見えなくなった後には、彼女の靴のあとだけが白い地面に残る。
 そうして次の日には、彼女がいるかどうか確認する日々。
いることに安心して、彼女と笑ったり、雪をぶつけ合ったりして遊んだ。
 それでも時々、彼女は空を見つめて、降る雪のなか佇んでいた。
 その、儚さ。
 思わず駆け寄って、抱きついた。

「どうしたの?」

 彼女は不思議そうに首をかしげていたけれど、変に思われたってかまわない、と思った。

「なんでもない……」

 すると彼女はそうなの、とくすくす笑った。
 私も笑って。
 そのときは、幸せだった。



「もう、春になるね」

 私が言うと、彼女はびくり、と震えて振り向いた。
 覇気のない彼女の顔。

「そうだね……」
 彼女はつぶやくと、まだ少し残っている雪に目を向けた。

「この雪も溶けちゃうかな?」
「うん。……あと、2、3日じゃない? きっと」
「そうだね……」

 彼女は悲しげにうつむいた。
 雪をすくうと、手のひらをじっと見つめて。
 だんだんと日が落ちてくるなか、彼女はずっとそのまま佇んでいた。

「ね、帰らない? もう夜だよ」

 寒さで震える声で、彼女に話しかける。
 でも、彼女は動かなくて。
 そこにいるのが怖かった。目の前で彼女が消えてしまうような気がした。

「じゃあ、先に帰るね?」

 私は、彼女のおかしな様子に気がつきながらも、そこで別れたのだ。
 彼女も頷いたような、気がした。



 そして、次の日の朝。
 彼女はどこにもいなかった。
 彼女がいつもの待ち合わせ場所に来なくて、彼女の家まで行って。
 彼女が好きだった場所も全部探した。
 雪が綺麗だった場所も。
 でも、彼女は見つからなかった。
 雪が溶けて消えて、花が咲き始める頃になっても。
 そして、また雪が降り始めても。


 だけど、雪を見ていると、彼女がいるような気がした。
 彼女が雪と、遊んでいる気がした。
 踊って、笑って。
 私の、体にも降ってくる。
 涙とともに、私の顔をぬらす。
 暖かな涙とは違って、冷たい雪。
 ひやり。
 彼女を感じられる。
 そんな、気がした。

 音のない世界。
 私は彼女の息吹だけを、感じる。



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すみません。
だいぶ昔に書いたものが、出てきたので、手直しした上ですが、のせてみました。
不思議な話を目指していた気がします。多分そうだったはずです。
本当につたないのですが……。読んで下さってありがとうございます。