聞こえないありがとう
長野みゆきは何でもできるタイプの人間だ。
英文を読ませれば、すらすらとなめらかに声を響かせるし、数式を解かせれば先生も美しい、というような解式を書いてみせる。
それは勉強だけに留まらず、運動だってお手のものであるし、容姿だってクールビューティーといった言葉が似合う。
天は二物を与えず、なんて嘘だろう、と誰もが言ってのける。そんな誰もが憧れる女子学生だった。
「お、古里。良いところに来たな」
「先生……」
教師のひとりに呼び止められ、智亜紀は立ち止まった。教師の手にはプリントの束。思わず智亜紀は、眉を寄せる。
「まあ、そんな顔するなって。ちょっと頼まれてくれないか?」
そう言って、智亜紀にプリントを渡すと、お前のクラス用な、と告げ去っていった。
智亜紀はため息をつきながら、自分のクラスに足を向けた。
廊下から窓の外を見れば、グラウンドで動き回る生徒たちが夕日に照らされている。夕日は廊下にも差し込んできていて、少しまぶしい。
クラスにつくと、誰もいないようだった。智亜紀は教卓の上にプリントを置き、鞄を手に取り、立ち去ろうとした。
が、ふと目を遣った先にすんなりとした足が見えて、びくりと片をふるわせる。けれど次の瞬間、それがカーテンから出ていて、人がカーテンの内側にいるのだと気づき、胸をなで下ろした。
「あの……どうしたの?」
ふと、声を掛ければすすり泣くような声。
誰か、女の子が泣いている。
大丈夫だろうか。智亜紀はそう思い、カーテンの傍でじっと待ってみた。
「大丈夫、……」
そう言って、女の子は智亜紀の目の前から去っていった。
一瞬見えた顔は、ひどくきれいで、智亜紀は思わず見惚れた。長野みゆきだ、と気付く。
あんな人がどうして?
そうは思ったものの、智亜紀は軽く息をつくと、鞄の持ち手を握る手に力を入れた。
その日はそのまま帰途についたのだ。
* * *
智亜紀は次の日、寝不足のまま、登校し、授業を受けていた。
昨夜は読書に夢中になってしまい、眠りのピークを逃してしまい、なかなか寝付けなかったのだ。
こくん、こくん。
彼女の頭が揺れる。
ふとその時、智亜紀の名が呼ばれた。
「古里、この続き呼んでくれるか?」
智亜紀ははっと目を覚ますと、開いてあった教科書を見る。どこを読めばいいのだろう。目の前には英文の羅列が、ある。けれど。
おろおろと、普段から真面目な智亜紀にしては珍しく、慌てた。
「27ページの4行目よ」
ふと智亜紀の後ろから声が飛んできて、彼女はその通りの場所に目を遣った。
ここか。
視線をちらりと前に向ければ先生と目が合う。智亜紀ははっきりと声に出しながら、その文を読み上げていく。さっき声を掛けてくれたのは、きっと長野さんだ、と思いながら、必死に眼で英文を追う。
もういいぞ、と先生の声が聞こえ、智亜紀はほっとして、読むのを止めた。
先生を今度ははっきりと見る。黒板に書かれていた文字をノートに書き写していく。授業が終わった頃には、ちゃんと書き終えることができて、智亜紀は安心した。
そして、後ろを向いて、声を掛ける。
「さっきはありがとう。助かっちゃった」
笑ってみせれば、長野さんも微かに笑った。
そして、長野さんは少し顔を赤くして、うつむいて。
「わたしこそ、……」
と呟いた。
あ、昨日のことかな、と智亜紀は思って、けれど何も言わないでいた。
最後は聞き取れなかったけれど、その言葉はきっと――。
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ふるさとちあき、です。
一応わかりにくいかな、て。
短編です。でも名前付き。いつかまた使えるかな(笑)