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注意!
このお話は、あんまりハッピーとは言えません。
そういうものが嫌な方は、どうぞおひきかえし下さい。
大丈夫な方は、スクロールどうぞ!
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色をあたえて 1
私はあなたの王子様にはなれないから。
眠ったままの彼女を見て、私はふと呟いた。
何を言っているのだろうと、苦笑する。
白い病室。透明な花器に生けられたかすみ草。白いシーツ。彼女の腕にに刺さった針。
そのすべてが彼女を美しく見せるけれど、それは色のない世界。
私は毎日そこに訪れ、色を持ち込む。
それは、お見舞いの品としてよくある林檎だったり、学校からの彼女への連絡物の一つだったりした。それでもなお、この部屋は白い。紺色の制服を着た私でさえも、色になることができない。
まるで彼女の中身も抜け落ちてしまったように感じられて、私の心は、まるで足下から凍っていくように、じわりじわりと冷たくなっていく。
「夕起」
彼女の名を吐息と共にはき出す。
その一瞬だけは、柔らかな色が付くような気がして、もう一度、もう一度と。彼女の名を私の息と共にはき出す。
彼女の手に、私の手を触れさせる。
冷たい私の指先にほんのりと伝わるのは、確かに生を持った暖かさ。
けれど、彼女の心はその熱を持っていない。同時に、私の心も、それを失ってしまった。
私が彼ならば良かったのに。そうすればきっと、私はあなたを目覚めさせる王子様になれたのに。
私はきつく目を瞑り、彼女に触れていた手を握りしめた。
彼女が好きだった。理由もきっかけもいらないほど、私にとって彼女はすべてになっていた。
けれどそう思っていたのは私だけではなかった。彼もまた彼女を愛し、そして彼女も彼を愛していた。彼女に先に出会ったのは私であったのに、私は彼女の唯一になることはできなかったのだ。
二人の間にあるのは、恋愛から発展した唯一の愛情であり、私と彼女の間にあるのは唯の愛情でしかなかった。
彼女が私に向けるものと、彼に向けるものと。同じではないけれど、初めは、それに限りなく近い愛情であったはずなのに。
「隆ちゃん」
そう呼ぶ彼女の声を覚えている。私もまた、彼のことを同じ風に呼んでいたのだ。
***
「隆ちゃん!」
私と夕起は、帰り道で、近所に住む二つ年上のお兄さんを見かけて、思わず駆け寄った。制服のスカートの裾が、翻る。
狭い歩道で、夕起が迷わず彼の隣を歩き出し、私はその少し後ろを歩く。寒くて、白い息を手袋の上から、手に吐きかけた。
楽しそうに笑う夕起。二人が話をする度に、白い息が空中に溶けていく。
私は時々相づちを打つだけで、基本的には話に入らない。そんな帰り道を、何度体験しただろう。
夕起を見つめて思う。
ちょっと前までならば、二人で彼をはさむようにして歩き、呆れたような顔をする彼のことは気にせず、ひたすらに話し続けるのがいつものことだった。
私と夕起は、家も近くて、多分ずっと昔から一緒に遊んでいたから、きっと幼なじみという関係なのだと思う。そして、そんな私たちの面倒をよく見てくれたのが、この彼だった。
中学生の私たちには、何もかもが楽しくて、それはもう話すこともたくさんあったわけだから、話しても話しても、足りなかった。
昔からの慣れ親しんだ、三人でいるときの空気。それが大好きだった。
けれど何がどう作用したのか。
彼が高校生になると、当たり前のようだったそれもなくなり、私たちと彼との間にはなにか大きなものが立ちふさがるようになったのだ。
多分、夕起はそれを敏感に察知したのだと思う。そして、彼も。
いつまでも一緒。私は、そんな気持ちでいたというのに、二人は違っていたのだ。
私とは何も変わらないのに、彼と夕起の関係は、どんどんと変わっていってしまったようだった。
「隆ちゃんが好きなの」
夕起がそう告げたときの表情は真剣で、私の知るどれとも違っていて、ひどく美しかった。紺色のブレザーは私と同じなのに、私と同じ格好をしているのに、彼女は私よりも輝いているように思えた。
頑張ってね。と言えば、嬉しそうに、ありがとうと言った彼女。
それ以来、私と彼女の内緒話には必ず、彼が出現した。その度に、表情を生き生きとさせる彼女に、私は苦笑しながら頷く。それが常のことになりつつあった。
今目の前にある光景もそうだ。見つめる先にある彼女の表情は、目まぐるしく変わる。楽しそうに、嬉しそうに。
三人でいると覚えてしまう疎外感。今だって、一緒なのは白い息くらいだ、と思う。
けれど私のなかで一番とするのは夕起だともう決まってしまっていたから、そんなに気にはならない。
三人よりも、彼女が大事で、彼女が幸せであることが何よりだと。それが決まっているから、私は今こんなにも普通でいられるのだろう。
そして彼も、多分夕起のことが好きなのだと、気付いてしまったから、私はさらにこの二人を見ているだけのことが多くなってしまった。
どうしてか痛む胸。一度気付いてしまえば痛みはもう、なくならなることはない。私は今どんな顔をしているのだろうか。
狭い歩道を並んで歩く二人は、私のことになど見向きもせず、まるでそれが当たり前のように、寄り添っている。
ゆっくりと私の胸の痛みは、大きくなっていったようだった。そして、それと同時に、心が浸食されていくような感覚があった。
それがなんと呼ばれるものなのか。形などないものだけれど、私にはわかりはじめていた。時に嫌な喜びを覚え、時に息苦しさにも似た悲しみが胸を襲う。
「隆ちゃんは、夕起が好きなんだね」
ある日の駅前。私は休日にもかかわらず偶然出会った彼に、挨拶よりも早く、そう言った。
彼にとっては驚き以外のなにものでもなかったであろうその質問。瞬間、ばつの悪そうな顔をする彼に、私は苦笑する。
「別に隠さなくてもいいのに」
私がそう言うと、彼は少し、しまりのない笑みを顔に浮かべて、頷く。
その表情に、苛立ちを覚えながらも表面上は普段のままになるように気を付けて、会話を続けていく。
「そうだよ。やっぱり亜湖ちゃんには分かっちゃうね」
「当たり前でしょ? バレバレだよ」
そんなことを言ったり、たわいもないことを話しながら歩く。夕暮れ方、向かう先と言えば、十中八九家だ。私もちょっとした買い物の帰りだ。帰るところなのかと彼に問えば、そうだと返ってきた。家が近いため、目指すのは同じ方向になる。
彼の黒いジャケットが、夕日の光を吸収している。私のベージュのコートより暖かそうに見えて、少し羨ましく思う。
いつもは夕起がいる場所を、私が歩いている。それが何だか私を、妙な心持ちにさせた。それは嫌なわけでも、かといって嬉しいわけでもない。ただ、妙としか言いようのない感覚。
彼女はいつもここにいてどんな気持ちでいるのだろうと考える。互いに嬉しそうに話す二人にしかわからない気持ちなのだろうか。
少なくとも、私のような気持ちではないのだろう。私は変に早く打つ胸に、泣き出してしまいそうだった。
彼が、彼女の名前を口にする、その度に、体の奥から粘つくなにかが、体の外に出ようと動き出す。それは、わかりはじめたばかりの私の思いよりも先に、外に出ようと、暴れ出す。
目に力が入るのがわかる。彼を睨んでしまいそうで、私はそれを必死で抑えて、歩いて、相づちを打っていた。
どれほどの時間が経っただろうか。駅から家までだから、短かったはずなのに、それは私にとって、ひどく長く感じられるものだった。
「じゃあまた」
そう言われて、私は相づちと同じくらいの頷きを返した。
睨んでしまいそうな目に、彼は気付いていただろうか。もしそれに気付いていなかったとしても、私の様子がおかしいと、思ってしまったのではないだろうか。
玄関のドアを開けて、中に入る。小さくはない音を立てて、ドアが閉まる。
「ただいま……」
掠れた声で言って、私は靴をぬいだ。フローリングが靴下ごしにも冷たく感じられる。もう寝てしまおうかと、階段の方へ足を踏み出した。
けれど。
「おかえりー」
そのどこか間延びした声で、私の思考は違うものになる。どろりとしたものが、その瞬間体の奥に引っ込んだのがわかった。
けれど、どうして彼女がここにいるのかわからない。首を傾げると、彼女は笑いながら言う。
「遊びに来たのに、亜湖ったらいないし。おばさんとお話してたの」
「そっか……ごめんね。ちょっと買い物行ってたんだ」
「ふぅん。何買ったの?」
「秘密」
そう返して、私はくすくすと笑う。自然と楽しくなって、嬉しくなって、笑う。
小さな頃から、幾度となく繰り返してきた軽い会話。それが身に染みこんで、心が軽くなって。軽くなりすぎて、浮き立ってしまうような。
不意に私は彼女に抱きついた。彼女は一瞬身をすくめたけれど、すぐにくすくすと笑いはじめる。
好きだ。
この浮き立ってしまうのは、恋をしているからだ。
あの粘つく感情も、恋をしているからだ。
誰よりも、大切なのだ。唯一なのだ。
その想いを、自覚した。
室内にいたためか、暖かな彼女の体。肩に顔を埋めて笑う。彼女の白いセーターがちょっとちくちくする。
「亜湖、首冷たいってば」
「私はあったかいから良いの」
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二つに分けます。